男たち、野獣の輝き

旧映画ブログです。

Beauty Devaisethのファイナル・ファンタジー14新生エオルゼア奮闘記

動機について。

先日「ジェダイの復讐」のDVDの音声解説を聞いて(字幕を読んで)いたときに考えたこと。

スター・ウォーズ」の旧三部作にはライトセーバーの闘いが一作に一度必ずあり、1作目は老人と機械人間の戦いなのでのんびりしたムード、「帝国の逆襲」では未熟なルークと圧倒的な力の差で迫るダースベイダーとの鬼気迫る闘い、「ジェダイの復讐」では妹の悪口を言われてキれたルーク(結局未熟)がダースベイダーとの力の差を見せ付けて迫る。と言う風に分けられます。

そんな中、「ジェダイの復讐」の闘いだけは特別にエモーショナルで盛り上がるなあと常々感じていたのです。すると、音声解説で

ライトセーバーの闘いではサーベルの音(あの独特のハウリング音)が音楽のような役割をしているので劇伴をつけていないが、この闘いだけは音楽をつけている」*1

と言っていました。

ジェダイの復讐」の闘いは、殺陣自体にはこれといって特別なことがあるわけではないです。ただ、一方的にルークがダースベイダーを斬りつけて、腕に何度もセーバーを叩き付けるだけ。*2

が、

「だけ」と書いては見たが、この場面の燃え方は尋常ではなくて、その前に散々皇帝に怒れ怒れと焦らされても、グっと絶え続けた上での怒りの爆発がバックにあるからだと思うのです。ジェダイは怒りにとらわれてはいけないと言う教えゆえに、オビ・ワンの闘いも、「帝国の逆襲」のルークも怒りに囚われていません。なんつうか、「共和国の平和のため」的な大義名分のもとに戦っている。逆にダースベイダーはダークサイドに陥っているので遠慮なく怒りブチまけて襲ってくるのでそっちのほうが燃える。ところが、「ジェダイの復讐」ではその「怒り」のエモーションが画面からバーンと炸裂していて、その表現の一つとして荘厳なコーラスが使われているところが燃えるわけですね。

こう考えてくると、「燃え」の起爆として一番有効に機能するのは「怒り」ではないかと思えます。ブルース・リーも意味不明にいっつも怒っているし。*3

「マッハ!」に戻ると、一緒に行動を共にしてきた同郷の友がせっかく死ぬんだから、それを起爆に怒れと思うんですよね。そうすればもっと盛り上がるのに。

ランボー」と「ランボー怒りの脱出」では怒りの質が違っていて、「ランボー」は自分が嫌がらせされた怒りに対して、「怒りの脱出」のソレは命の恩人でキスまでした美人が目の前でアサルトライフルで撃ち殺されるわけで、後者のほうが観客の共感をより得られることはいうまでもありません。

勿論「燃え」の演出や作劇法はそれだけに拠っているわけではないのですが、「動機」の点では重要な事に間違いないと思います。

そう考えると「ロッキー」は何で燃えるのかなあと考えると、トレーニングがあるからなのかあと考えています。あれはなんか「精神の高揚」的な部分で、「怒り」とは全く別の種類の「燃え」じゃないかと。観客はあのトレーニングで一緒に燃えているので、試合でもそりゃ燃えるよなあという。そういう意味ではそれまでの生活描写などなども全部重要になってきますね。
「ロッキー4炎の友情」はアポロが殺された恨みを返すための闘いだから純粋に「怒り」が動機ですよね。

「みんな分かり合えるんだ!!」

ってラストの矛盾が笑えますな。うそこけっての。

*1:ちなみにこの場面の素晴らしく盛り上がるコーラス音楽は最初のサントラに収録されていなくて、ボクも落胆したものですが音声解説でも「最初のサントラには入っていなかった」と言っています。

*2:とはいえ、シルエット処理された映像や、やたらと強大なセーバーの光学処理、マーク・ハミルの怒り演技など、演出の部分では「帝国の逆襲」の闘いに引けをとらない。

*3:そういう意味でも「死亡遊戯」は異色ですよね。あのリーは全然怒ってない。むしろ楽しんでいる。それでも燃えるのは音楽とかヌンチャクとかそういう部分が燃えさせる訳で、そっちもやっぱり重要だと言うことがよく分かります。