男たち、野獣の輝き

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Beauty Devaisethのファイナル・ファンタジー14新生エオルゼア奮闘記

シネスイチ板橋プログラム26『椿三十郎』


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アクション・シークエンスの緩急とは? そして娯楽映画の革新とは。


今回シネスイチ板橋での上映は、娯楽映画の至宝と断言できる、黒澤明監督作品『椿三十郎

この映画、作られた経緯が全くといいほど完成品の完成度に結びついていないのが非常に面白い。

隠し砦の三悪人』で興行的には成功を収めた黒澤明でしたが、撮影日数の大幅な遅延に伴う制作費オーバーの責任を取る形で黒沢プロダクションを設立することになります。そこで第一回作品は真面目な映画にしないといけないと張り切って、『悪い奴ほどよく眠る』を作ります。これがまあ、作品としては傑作なんですが、とにかく鬱な映画でして、当然興行的にも苦戦。それじゃバリバリの娯楽映画を作ったろうじゃないかと黒澤の実にナイスなスイッチがイン。それで傑作『用心棒』を作ってそれが当然大当たり。時代劇としても娯楽映画としても革新的な映画に仕上がります。

で、ここからが面白い。

東宝としては、『用心棒』みたいなの作れるんだったらもういっちょやってちょうだいよと資本主義の鉄則として黒澤を煽るわけですね。とんがっていた頃の黒澤だったら「冗談じゃないってんだあ」と断るはずなんですが、黒澤はなんとそれを引き受けちゃうんですね。『續姿三四郎』であれほど酷い目にあっていながら、続編を作ろうってわけです。しかも、翌年の元旦公開という文字通りの正月興行。製作期間8ヶ月w まあ、「一年に三本作れるとちょうどいいんだよね」と黒澤本人が言っているような時代ですから。

ここで我が愛読書の黒澤明全集の第五巻、製作メモランダを開いてみると

『悪い奴ほどよく眠る』9月4日公開→『用心棒』翌年1月14日クランクイン(笑)→4月25日公開(驚)
椿三十郎』同年9月25日クランクイン→翌年1月1日公開

まあ、本当に驚愕すべきなのは12月20日にクランクアップ(最後の決闘シーン!)→12月26日ダビング終了27日試写ってあたりなんですがw

黒澤は自分で編集するので、撮影しながらほとんど編集が終わってるようですし、何より脚本を読めばわかるけどその時点でほとんど編集は頭の中で終わってる。

閑話休題

で、この『椿三十郎』、元々は山本周五郎の『日日平安』を原作とした喜劇タッチの時代劇を別の監督ために脚色したものを流用しているんですね。流用ってあたりからして実に黒澤っぽくないんですが、思うにそういう肩の力が抜けたぐらいが傑作が生み出される条件なのかもしれないですね。その脚本の主人公を『用心棒』の三十郎に置き換えて、しかも今度は『椿』でどうよっていう続編丸出しの作り。加えて出演陣がまた凄い。当時若大将で売り出し始めた加山雄三と、そのまま若大将に出演している田中邦衛や江川達治などなどの若手が大勢出演している。ちなみに同年公開の『銀座の若大将』では加山雄三が名前を訊かれて「椿三十郎!」と答えるクロスオーバーギャグまであります。

天皇とか何とか持ち上げられる黒澤明とはとても思えないフットワークの軽さ。職業監督のようなこの製作プロセス。

上映時間も96分と素晴らしい。


んが、


黒澤明は、やはり黒澤明


娯楽映画の真髄とも言える傑作に仕上げてしまいました。

まずシナリオ。これが恐ろしくよく出来ている。最初の15分でキャラ紹介、アクション、ギャグ、状況説明、貫通目的、などなどここだけで短編一本できてしまうような完成度。その後の展開も無駄な日にちまたぎなどは一切無く、驚くべきテンポでストーリーが転がっていく。中盤ではストーリー上必要のない大チャンバラを、キチンと必要不可欠であるかのように挿入してくる豪腕ブリも凄い。しかも、その殺陣も『用心棒』からのファンを裏切らない異様にかっこ良くテンションの高いもの。加えて、ラストの決闘でも表現されますが、人を斬る=人が斬られるという事が恐ろしいほどのリアリティで観るものを圧倒します。斬られる門番などが悲鳴をあげながら逃げ惑う姿は子供心にトラウマでした。全体的にコメディタッチなのに、殺陣になると突然凶悪になるというアンバランスさも、スピルバーグなどに受け継がれていく黒さではないでしょうか。


助けだした城代の奥方とその娘。この二人の場違いな脳天気さが何とも絶妙にこの映画独自のユーモラスを象徴している。

真面目過ぎる若侍たちと、減らず口ばかりたたく野卑な浪人三十郎という対比が全体のコメディ要素になっているのですが、ここにこの二人が絡んでくることで生まれる奇妙なコントラストが非常に面白い。

しかも、そこに捕虜になった小林桂樹演じる木村という侍が絡んでくるから更に爆笑を生み出す。いつもは押入れに押し込められているのに、「ちょっと失礼します」(実際にこう言って出てくる)と出てきては若侍たちの青臭い口論を引っ掻き回してまた押入れに戻ったり、三十郎の計略の穴に気づくと「おぉお!!」と素っ頓狂な声を上げて押入れから出てきて指摘したり(するだけで解決策はないところが最高)。デウス・エクス・マキナともまったく違うわけのわからないキャラが最高。


ハイビジョン+シネスコ大画面だからこそ味わえるショット。高札を観に集まる人々の顔面。よく見ると若侍たちがそこそこに立っているのが分かる。

拍子木のカーンという音をブリッジにしたり、黒澤明のトレードマークともいうべきワイプ処理によって、とにかくカットごと、シーンごとのテンポが素晴らしく良い。観ていてこれだけ気持ちのいい編集もないんではないかと思うほどの完成度。黒澤明監督作品の中でもこれだけ有機的に全シーンが淀みなくつながっている作品もないと思えるほどだ。特にワイプに関しては途中の居眠りしている三十郎が何度も何度も若侍たちに叩き起こされてしまうという大笑いのギャグとしても巧みに使われている。


ダイ・ハード』で屋上の爆弾を見つけたマクレーンが無線でそれを報せようというまさにその瞬間、フレームの外からヌーっとライフルの銃身が現れる。あの名シーンの元ネタがここ。


三十郎の魅力は何かと言えば、間違いなく「刀の腕も超一流なのに、それには極力頼らず頭を使って危機を脱する」点でしょう。ここらあたりは近年のバトル漫画が力のインフレに陥っている中で『ジョジョ』や『HUNTER×HUNTER』などが全力で意識している部分と同じ。三十郎が常に状況を把握し最善の方法をとっていく展開はとにかく観ていて気持ちがいい。そういう事が積み重なっていく事で、作り手に対しての信頼感が強く観客の中に生まれてくる。そんな三十郎がピンチに陥るからこそクライマックスの展開ではハラハラドキドキするし、その痛快な一発逆転に大笑いして感動もできる。三船敏郎がそういったキャラを実によく理解しており、常にアゴをさすりながら頭をフル回転させているのが観客に伝わってくる。そして、黒澤明を筆頭とする脚本家チームは、『隠し砦の三悪人』でやったように、状況をどんどんピンチに追い込んでいき、それを三十郎が何とか切り抜けようと四苦八苦するのだ。だからこそいよいよ打つ手がなくなった時に展開される立ち回りが効果的に緩急を生み出す。物語の緩急がギャグだとすれば、アクション・シークエンスの緩急とはまさに「アクションそのものが息抜き」として機能するぐらい状況を追い込んでいくという逆説的なものかもしれない。


家の奥さんが指摘し、僕自身もそう思うようになったことですが、ハリウッドのよくあるアクション映画というのは「アクションの起こっている間、実は映画は停滞している」ということです。もちろん「アクション」そのものが見所になっている「アクション映画」なら当然それで何にも問題ないのですが、「娯楽映画」としての精度を上げていく事を目標とする映画の場合、アクション・シークエンスで退屈になってしまうのは本末転倒です。アクション・シークエンスの進化に対して常に向上を求めるのなら、そこは避けては通れないはず。例えば上記の『ダイ・ハード』がなぜ誰が観ても傑作なのかというと、アクション・シークエンスで映画が停滞していないからです。

黒澤明はギャグやユーモアでストーリーに緩急をつけるのも上手ければ、アクション・シークエンスの扱いも凡人離れしているんですね。そういう意味では『隠し砦の三悪人』の有名なアクションである馬上の対決などは、実は映画が停滞しているわけで、あの映画の評価の低さにつながっている点かもしれません。いや、燃えるんですけどねw


椿三十郎』と言えばラストの決闘というぐらい有名になっているシーン。超至近距離で睨み合ったのち一瞬の交錯で勝負がつく。上段から斬ろうとする相手に対して、三十郎は右手ではなく左手で刀を最短距離で引き抜き、右手の拳で押し上げるようにして切っています。勝負の勝敗もキチンと論理的に出来ている。ブルース・リーの「水のように」理論の通り、相手の出方に対して一瞬で身体が最善の動きをする殺陣が組み立てられているんですね。その証拠に、コマ送りで見るとちゃんと仲代達矢が刀を抜きはじめるのを確認して三船敏郎が動き始めるのが分かります。段取りは決まっているので、ちょっとでも早く動くと台無しになるのに、コマにして2フレーム遅れて動き出す三船敏郎が恐ろしい。しかも、表情は変わらないまま左手だけが先行して動き出すんですよ。信じられない。観ているときは身体が機械的に反応して斬っているようにしか見えない。しかも、初見時は動きが早すぎて何やっているのか全然わからないw


そして、このシーンが有名になっているもう一つの理由は、言うまでもなく映画史上初めて「血しぶきが大量に画面いっぱいに吹き出した」から。

個人的な解釈では、この映画の2年前に公開された『サイコ』のシャワーシーンがすべての原点だと考えています。あのシーンでは「ナイフが身体に刺さる音」を発明し、シャワーの水に流れていく黒い血が画面に生々しく映し出されています。あのシーンの衝撃を黒澤明が時代劇に応用したのだと思うのです。『用心棒』では斬られる音、そして少ないですが血しぶきも出ます。その発展系としてこの映画ではラストの決闘で盛大に血しぶきが吹き出す。
面白いのは、この映画が基本的にはコメディである点です。『用心棒』みたいに西部劇を意識しているのなら、『シェーン』でジョージ・スティーブンスが実践したリアリティのある銃撃戦の延長と捉えることもできますが、上述したように元旦映画として企画されたファミリー・ピクチャーのようなこの映画でアレをやっちゃう黒澤明の感覚が狂ってるw 


その最たる例が、『サイコ』同様挿入される「白目をむいて死んでいる生々しい死体」のカット。これって今なら「デリート・シーン」とかで特典映像で収録される類のカットですがな。ドン引きになる若侍たちのインサートショットに続いて、このカットがインサートされるんですが、これを見た若侍たちがさらにドン引きして後退りする生々しい演出。到底この映画全体のトーンとは乖離しているシークエンスですし。三十郎がセリフで「どうしてもやるのか?」と言ってるぐらい(笑)必要のないシーンです。

ただし、この映画を娯楽映画の至宝としている理由も、やはりこのラストの決闘の凄まじさを抜きには考えられないわけです。

やっぱりね、真の娯楽映画というのは、セオリーやテンプレートを守っているだけでは生み出されないと思うのですよ。

娯楽映画の革新には、常に「狂気」としか思えない意味不明の豪腕さが必要なんだと思っています。

だからこそスピルバーグは『ジョーズ』で原作には無いのにクイントを食い殺させたりしたわけでしょう。それを直接描写しちゃったわけでしょう。


そういう意味合いからも、黒澤明が娯楽映画という媒体を革新して底上げした記念すべき映画として、『椿三十郎』は映画史に残る作品なんですよ。




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こちらも立ち回りに頼らない危機回避の燃え方が尋常じゃない傑作。