男たち、野獣の輝き

旧映画ブログです。

Beauty Devaisethのファイナル・ファンタジー14新生エオルゼア奮闘記

1/24秒を超えるアクション演出その2

前回スパイダーマン2の高架線上でのアクション・シークエンスを取り上げた際に、陸橋を仰け反って潜り抜けるアクションに”1/24秒を超えた演出”を観た事を書きました。

列車アクション及び、高速で移動する乗り物を使ったアクションは、昔からアクション・シークエンスではたくさん使われるモチーフであり、よく出来たものも数多くあります。

そんな中で、”1/24秒への曙”とでも言うべきアクションが幾つかあります。

007シリーズはアクション・シークエンスの見本市として有名ですが、このシリーズのアクション・シーンは長い歴史の中で”1/24秒を超える”までの縮図を見せてもくれます。

007シリーズには優秀なスタント・チームと合わせて、優秀な編集マンがいたことが重要なのです。

その人間は二人。

ピーター・ハントジョン・グレンです。

この二人は後のシリーズの中で監督もしており、常にそのアクション・シーンにおいて”1/24秒を超える”事に挑戦し続けてきた達人です。

まず、ピーター・ハントの最初の業績は「ロシアより愛を込めて」の有名な『オリエント急行での激闘』が挙げられます。間違いなくあのアクション・シークエンスは今までのアクション・シークエンスに「編集による超越」を取り入れた画期的なシークエンスです。狭い客室を使ったボンドと殺し屋グラントととの死闘は、ハントの監督作品でも顕著に現れる”異常なカッティング・スピード”で表現されます。とにかく、全カットで(前にも書いた)「観客の生理」を削り取っており、人と人との闘いを「鑑賞」しているのではなく「体感」させることに成功しています。映画全体に対してもいえる事なのかも知れませんが、ことアクション・シークエンスは観客の想像力をどうコントロールするか、観客はそれにどう応えるかというせめぎあいで成り立っていると思うのです。

メル・ギブソンの傑作「ブレイブ・ハート」に、モーニング・スター(こういうのです)を使って敵の顔面を殴打する強烈に痛みを感じるカットがあります。文字通り顔面が粉々になった感覚を観客に味合わせる屈指の1/24超え演出の最たるものです。メル自身の音声解説でこのカットの説明をこう語っている。
「このカットは簡単なテクニックだ。つまり、実際には当たっていないのだが、当たった瞬間のコマを抜いている。だが、その効果は絶大だ。成人指定も免れるしね」(大体こんな感じ)

実際にアクションつなぎと呼ばれる古典的な編集技法*1の基本にもあるように、観客は何らかの情報が欠落すると、脳がそれを補おうと機能する。その補う部分をいかに効果的に利用するかがアクション演出の要になるのだと考えるわけです。

で、先のピーター・ハントに戻りますが、彼の編集マンならではのアクション・シークエンスの設計はまさに革新的だったわけです(アクション監督としてもクレジットされています)。

この作品の公開された1963年はまさにアクション演出を語る上でのエポックになりますね。

ただし、ピーター・ハントは映画全編を監督する器ではなかったようで、007シリーズの監督としては「女王陛下の007」を残すのみです。もっとも、この作品こそアクション・シークエンスを語る上では絶対に外せない最重要作品でもあるわけですが。

主演がジョージ・レーゼンビーという大根役者だったことも彼の不幸だったのかもしれませんが、アクション・シークエンス以外の演出がいかにも適当というか、メリハリがなさ過ぎるんですね。ジョン・バリーの音楽もシリーズ中随一の出来のよさなのですが、やはり一本の映画としてはあまり評価できません。

が、

アクション・シークエンスになると、それはもう恐ろしいほどのテンションで、「ここまでしたらまずい」という、ある種の指標ともなっています。


(続きは明日)

*1:人間が振り向くのを2カットでつなぐとき、そのままつなぐのではなくて、間を数コマ分省くと自然に見える