男たち、野獣の輝き

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Beauty Devaisethのファイナル・ファンタジー14新生エオルゼア奮闘記

『007サンダーボール作戦』を観ました

007初のシネスコ作品。ですが、これも子供の頃にビデオ版で観たきり。ノートリミングは初めて。

007は初期三部作が大ヒットしたことで、いよいよ制作費を大量に投入することによる大作傾向が強くなっていきます。シネスコサイズになったのもまさにその顕れでしょう。

監督は『ドクター・ノオ』『ロシアより愛をこめて』で007の基本路線を作ったテレンス・ヤング。とはいっても、ハイバジェットの映画には向いていなかったようで、明らかに作品そのものがとっちらかっています。もっとも、これは脚本の段階からしてそうなので、ヤング一人の責任ではなく、制作陣そのものが大作そのものに対してのアプローチに不慣れだったのかもしれません。

編集とアクション監督を任されていたピーター・ハントは今作では「編集監修」みたいな肩書きになっていますが、クライマックスのボート暴走シークエンスで、得意の早回し映像と細かいカッティングを見せます。ただ、これは彼の欠点でもあって(苦笑)、大作なのに恐ろしく安っぽくなっています。高速度撮影によるスローモーションは人間の生理に合致して問題ないんですが、早送りってのは明らかに人工的で整理に合わないんですよね。ピーター・ハントが一般に受け入れられない要因は「何よりもスピード感命」の感覚が仇になってしまうことでしょうか。全編そのノリで作られた『女王陛下の007』は「そういうもんだから」と納得できるんですが、1シーンだけ突出してそんなになってしまうと違和感が凄い。テレンス・ヤングも『ロシアより愛をこめて』のオリエント急行の闘いのようにキチンと手綱を握れていればよかったのですが。

ただし、ケン・アダムによる大掛かりなセットや実物大の爆撃機などの美術は大作感が大いに出ており、映像としてはシネスコと相まってスケールが大きい。クライマックスの水中戦もビデオで観ていた頃は「ダラダラ長えなあ」と辟易していたもんですが、今観ると相当頑張っている事が分かりますし、戦い方にも工夫が凝らしてある。水中銃のモリによる生理的に痛そうな攻撃や、ナイフによる肉弾戦でもみくちゃになる死闘は、結構プライベート・ライアンばりの生々しさが出ている。ボンドが秘密兵器を使って颯爽と現れて形勢逆転になるあたりもヒーロー物のようで楽しい。

序盤の療養所における一連のコメディタッチは『ゴールドフィンガー』で味をしめたスタッフによる流れでしょうが、このコメディとシリアスの方向性のバランスが後々のシリーズで大きく成否を分けることになります。

そんな中、我らがショーン・コネリーの盤石感が異常でw

療養所のシーンでも、「脊椎けん引装置」なるリハビリ装置に繋がれるや、敵の一人が「腹いせ」としか言いようのない理由で装置のスピードをMAXに。大慌てのボンドだけど、拘束されているもんだからどうしようもなく、臆面もなく「助けてえ!!」と大声を張り上げた挙句に失神。看護師に助けられて型なしのボンドも、相手をサウナに閉じ込めるという安っぽい仕返し。なんだ、こりゃ?

冒頭の有名なジェット噴射機による脱出あたりからかなり無理のある世界観を観客にガッチリ提示するあたりでも、ボンドがキチンとヘルメットをかぶるあたりが妙に可愛くておかしい。『二度死ぬ』でもリトル・ネリーという小型ヘリコプターに乗り込んだショーン・コネリーがキチンと可愛いヘルメットをかぶる。こういうのに抵抗していないあたりのショーン・コネリーの懐のでかさというか無頓着さがたまらない。

ラストの飛行機によるけん引は『ダークナイト』でノーランがいただいていましたね。台詞もなくあれでさっと幕が降りるのはスマートで良い。一緒に脱出したはずの博士の安否を知らぬ存ぜぬで放ったらかしなのも含めてね。

権利の関係で『サンダーボール作戦』はイオン・プロダクション以外でリメイクされました。ショーン・コネリーがまさかのボンド役に復帰したのがこの『ネバーセイ・ネバーアゲイン』。夏に『オクトパシー』を観て、その年末にこちらを観たのは小学六年生の時でした。なのでこちらのリメイク版は大変思い出深い。主題歌も無茶苦茶いいし。プロットは殆ど同じなのですが、アービン・カーシュナーによるこなれた演出と相まってよっぽど今作よりも面白くなっています。