男たち、野獣の輝き

旧映画ブログです。

Beauty Devaisethのファイナル・ファンタジー14新生エオルゼア奮闘記

『1/24を超える』アクション演出について。


WOWOW勝新の最後の「座頭市」(傑作)と北野武版を一緒に放送するという、極めて粋な計らい。

たけしの「座頭市」はたけしの映画としてみても、相変わらず独特のテンポと、普通のドラマツルギーとしては成立していない回想シーンの挿入(単純に下手くそだとかダレるとかも分からないではないが)などなど、ファンとしては楽しめる作品です(「Dolls」の時はどうしようかと思ったもんですが…)。

まあ、それはおいておいて。

たけし版の「座頭市」は、”殺陣”の演出について書かないわけにはいかない。それはもちろん勝新版でも同じことです。

「ピンポン」の時にも書いたのですが、ボクの個人的なアクション演出の研究の題目の一つに、『いかにして1/24秒を超えるか』というものがあります。

映画というのは一秒間24コマの静止画を連続させての残像効果で「動画」を作り出しているわけですが*1、アクション・シーンで『1/24秒を超える』演出に挑戦して成功すると、そこには恐ろしいほどの切れ味が生まれます。

この『1/24秒を超える』ということは、具体的に書くとどこまで『省略』出来るかという事になります。

「ピンポン」で曽利文彦監督は打ち返すショットの”インパクトの瞬間を省略”する事で、見事に1/24の壁を超えて見せました。卓球は地上最速の球技なわけですから、この部分の演出の成功は非常に重要です。「ピンポン」の原作は松本大洋の傑作ですが、漫画でもこの命題は重要な訳です。あちらはそもそも常に『省略』することこそがアクション演出の肝になる訳ですから。出来のいいアクション・シーンのある漫画は、つまりそういうことなのです。*2

で、そういう1/24の壁を超えたアクション・シーンはド鋭い切れ味を観客に味合わせてくれるのです。ボクが現在アクション・シーンの演出を評価する基準は殆どこれに尽きます。

つまり、1/24秒を超えることは、観客の視覚を擬似的に超越することになる訳ですが、これを成功させるのは並みのセンスでは出来ない事です。極めつけの編集センスとそれこそ1/24秒である1コマを見切る感覚が必要になるはずです。

たけし監督は自分で編集もしている訳ですが、常に自作でそのセンスを証明していました。長回しを切る際にも同様なセンスが要求されるわけですから、今回のアクション演出でもそれを全開に適用させています。

対照として浅野忠信演じる浪人の殺陣では、いくら殺陣のスピードを早くしても、『省略』演出を使わないことで、たけし演じる座頭市との決定的な差を具体的に感じさせてくれるわけです。

たけしの演じる座頭市に至っては、全編その動きに『省略』を適用することで、常人ではないと見る側に感じさせてくれます(これぞ演出)。

たとえばたけし版の特徴の一つに「戦闘態勢へ身構える」があります。つまり、敵もしくは敵の可能性のある状況が近づくと、仕込み杖を身構えて少し刃を見せます。この身構えるショット一つでも、頭の数カットが通常の映画の演出より短く切られています。この「数カット」のセンスが実に見事で、「観客の生理」の数カットを削るのです。この「観客の生理」をつかめるかどうかの感覚が『1/24秒を超える』かどうかを分けるわけですね。

当然”立ち回り”になるとそれが爆発するわけですが、予告では効果的に使われていた「雨の中での戦い」においてはその『省略』をしないだけでなく、肝心の物凄い速さの立ち回りをスローモーションで殺しまくっています。このシーンは本編でも笑っちゃうほど無意味に挿入されるだけに、文字通り黒澤監督へのオマージュとしての機能しか果たすつもりがなかったのかもしれません。ただ、本編随一のクライマックスである「賭場での大虐殺」においては、スローモーションを使用していても『省略』が全開に適用されることで衝撃的なスピード感を生み出すことに成功しているのです。その「賭場での大虐殺」では、本来の時代劇なら必要不可欠な「切る」モーションを、その主体そのものを『省略』するという神業を披露してくれます。つまり、座頭市自体が一切写らない。切られる側のリアクションと、画面を一閃する刀の数コマのみを編集でつないでみせます。実際にはカットバックで挿入される外部のシーンから殺陣に戻る編集にはぎこちなさも感じるのですが、それを補って余りある切れ味を立ち回りの演出は味合わせてくれるます。*3

・・・

で、こういった『省略』による”1/24秒を超える”アクション演出は勝新太郎監督版でも全開なのです。つまり、こういった部分をキチンとリメイクすることで、武監督は座頭市の一番肝心なところは外さなかったわけです。

・・・

結局1/24秒の壁を超えるアクション演出というのは、『観客の生理』を超えるという事と同義なのかもしれません。観客は常に数秒先を予測しながら映画を観ている訳ですが、アクション映画を見慣れてくると、さまざまなパターンを予測してしまいます。*4
この予測を覆す事がアクション・シーンの完成度につながっている訳ですね。

この間観た「スパイダーマン2」の高架線上のアクションでも、スパイディが突然真後ろに仰け反るやいなや轟音と共に陸橋の隙間を潜り抜けるというシーンがあり、あれは予測を覆されました。今までのアクション演出ですと、

スパイディの驚く顔のアップ

向かってくる陸橋

仰け反るスパイディ

となる訳です。

ここまで説明しないと状況が分からなくなるというお節介さが切れ味を失くしてしまうわけです。

そこを丸ごと省略するサム・ライミ

観客を信用するということはこういう事なのですよ。

*1:ほかにも色々あるし、ビデオフォーマットではまた違ったりするのですが、それは省略

*2:「ドラゴン・ボール」の全盛期における鳥山明のソレは、それはもう強力で、毎週毎度”インパクトが省略された”アクションが冴えまくりでした。ナメック星編でのバトルは極めつけ揃いです。

*3:ここの「ぎこちなさ」は武映画全般に通じる独特の味なのかもしれませんが。

*4:この予測を自分で鈍らせるという技術もあるのですが、この予測を強制的に鈍らせてしまうほど映画内に没頭させることが娯楽映画の至上命題であることは言うまでもありません。