男たち、野獣の輝き

旧映画ブログです。

Beauty Devaisethのファイナル・ファンタジー14新生エオルゼア奮闘記

『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』★★★★

近代アクション映画の到達点

久々に「血のたぎるアクション・シークエンス」が連発する、個人的に夢の様な「アクション映画」でした。マーベルをはじめとするアメリカン・ヒーロー映画で、これだけ緊張感が持続する硬質のアクションを成立させたということがまず奇跡に近い。どうしてそれが成立しにくいかというと、やはりヒーローが死ぬわけがないと観客が安心していることを、作りても受けても納得の上で成り立っている世界だから。

聞けば、この映画の監督(兄弟)は『フレンチ・コネクション』『ヒート』などを目指していたという。つまり、『フレンチ・コネクション』でのポパイの尾行シーンでの異様なテンションや、カーチェイスでのブレーキを踏むカットで観客が一緒に足を踏ん張るような没入感、『ヒート』でのあの空前絶後の銃撃戦における「とんでもない現場に居合わせてしまった感」などを再現したかったのだろう。

この映画でのアクション・シークエンスは見事に上述の映画に迫る没入感と緊迫感に満ち満ちている。

そして、この映画のアクション・シークエンスの見事さは、上記の要素に加えて、キチンとヒーロー映画としてのカタルシスケレン味を共存させていることなのだ。

では何故そんな神業を成立させることができたのか?

それは、この映画のアクション・シークエンスの設計の基本理念として「当然そうするだろう」ということのディティールを徹底していることにある。

序盤のシージャックのシチュエーション。ここでキャップがいきなりパラシュートなしで飛行機から降下する。もちろんこれはヒーロー映画のケレン味として正解。そして、それは「斥候」として一番早く現場にたどり着く手段としても正解。部隊の斥候として警備兵を次々と盾と素手で倒していくのも、キャップが基本的に銃器を使用しないヒーローとしての足かせと共に「隠密行動」としても理にかなっている。そして何より素晴らしいのは、キャップの超人としてのスピード感。これの演出力が半端無く上手い。例えばデッキを突っ走るキャップがフォローしているカメラを絶妙の速度でチギっていくショット。船のフレームで一瞬姿が隠れた時に、観客が次に現れると思うタイミングをほんの少し上回っていく。これが上手い。「早い!」と観客に思わせる、「強い!」と観客に思わせる。キャップ風に言うなら「俊敏で、強い」だ。しかも、キャップと敵の格闘戦が、常に近代格闘術とケレン味のミックスで構成されていて、戦いが始まるたびに「うおお!」と心が雄叫びを上げる。

続いてこの映画が「これは普通じゃない」と思わせるのは、ニック・フューリーの車が武装集団に襲撃されるシークエンス。ここが本当に凄まじい。

まず、のっけから武装集団が全員警察に変装している点。これなんか普通に考えれば「当たり前」過ぎることなのに、普通のヒーロー映画ではあまりお目にかかれない。そこには「記号」で成り立っている暗黙の了解があるからだが、この映画のアクション・シークエンスのアプローチは上述の通り「当然そうするだろう」で成り立っているのだから、当然「武装して集団で行動しても疑われない変装」で襲撃するだろうし、白昼堂々と銃撃戦を繰り広げても衆人には納得の行く光景になるはずなのだ。悪の組織が本来そうするだろう「当然の行動」をキチンと描く。これが異様な説得力を生み、説得力は没入感を促して緊張感を醸成させる。これが本来あるべきアクション映画の基本理念だ。ここで手を抜くとマイケル・ベイの映画みたいになってしまう。
さらに、またまたこの映画ではここで「ヒーロー映画」としてのケレン味とリアリティを共存させる。ニック・フューリーはシールドの長官である。したがって「当然こういった襲撃に備えている」わけで、それが「ありえないほど頑丈な防弾装備の車」であり、それをサポートするオペレーティングシステム。外見が普通の車なのも凄まじく燃える。「まさか!!」の連発である。しかも、敵集団も「当然それに対する対策」を用意してあって、それを黙々と機械的に展開していくのだ。これで燃えるなというのが無理な話。ダイ・ハードでも熱狂させてくれた「反動を抑えるために基部を地面に打ち込む」装置や、それによって防弾ガラスにガンガンとピストンで強力な破壊槌を打ち付ける。そのたびにオペレーティングシステムが冷静に「強度80%低下」と逐一報告してくる。どう考えても、パトカーや車で四方を固められ、オシマイとしか思えない絶体絶命の状況をのっけから作るこの挑戦的なアクション・シークエンスは絶品以外の言葉が見つからない。そして、そこからいきなりミニガンによる応戦(どういう状況を想定してるんだよ!)と、ブッチギリに燃えるカーチェイスへ怒涛のように突入。ここでのカーチェイスと銃撃戦の切れ味の凄まじさは古今例を見ないかっこよさ。シネスコ画面いっぱいに過る車体や、異様な角度で吹っ飛ぶ車体などなど、身震いがするほどかっこいい。

その後も、続々と燃えるアクション・シークエンスが展開し続けるのだからたまったもんじゃない。

高速道路での戦いでも、屋根に飛び乗ってきた敵は躊躇わずハンドルを「当然」引き抜いて機動力を抑えるし、すぐに一番の戦力であるキャップをバズーカで吹っ飛ばす。そして、吹っ飛んだキャップはあり得ない勢いで下まで吹っ飛んでバスを貫通してしまう。ホントあのリアリティ・ラインの想定加減の絶妙さにはその都度歯ぎしりしたくなるほど燃える。

また、この映画のアクション・シークエンスに説得力を生み出しているのは、全体のスタイルを「ポリティカル・サスペンス」風にしていることだろう。

冒頭でいきなり「なにこれ? マラソンマン?」と思ったのは当然で、監督やプロデューサーも意識してそうしているそうだ。それでこそレッドフォードのキャスティングの意味があるわけで、観ていて「なるほど!」と膝を打った。逆に言うと、出ているだけでヒーロー映画をポリティカル・サスペンス風にしてしまうほどの力を持っているってのが、レッドフォードの凄いところでもあるのだが。

しかし、ヒーロー映画でポリティカル・サスペンスをやってしまおうという試みは、やはりキャプテン・アメリカという題材によるところが大きいと思う。なにせ彼はヒーローとかいっても基本的には職業軍人なので、軍隊としての行動規範で動くから、人が死にまくってもあまり問題にならないという強みがある。これはヒーロー映画ではかなり貴重なアドバンテージだろう。


ヒーロー映画に新たなページが加えられたことは間違いなく、他人事ながらジョス・ウィードンが『アベンジャーズ』の続編でこの跳ね上がったハードルをどう超えるのか心配と期待が入り混じるほどの傑作であると断言できます。

超オススメ!


・・・


しかし、スカーレット・ジョハンソンのナターシャは相変わらず魅力爆発だよなあ。まさかキャップの映画で絡んでくるとは思ってもいなかったので、あの二人の微妙な関係にちょっとドキドキしてしまう。

あと、まさかあの黒人がヒーローとして参戦してくるなんて想像もしていなかったので、単純にメチャ燃えましたよ。カーチェイスに格闘に銃撃戦だけでも凄いのに、空中戦まであるなんて!

そうそう、キャップが博物館から自分の昔着ていた服をとってきて着込んだり、その格好で「スピーチ」するってあたりもね、どうしようもなく感動しちゃうんですよね。ああいうのに弱いんだよなあ。

ああ! あとブラック・ウィドーの変装!! めっちゃ驚きましたよ! いきなりババアが格闘!!?? って。


ほんとありとあらゆる要素が燃える。


この満足感よのう!!