男たち、野獣の輝き

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Beauty Devaisethのファイナル・ファンタジー14新生エオルゼア奮闘記

『宇宙兄弟』★★

ワーナーマイカル板橋で一番大きな8番スクリーンにて。30人ぐらいは入っていたので、平日の昼間にしては上々ではないでしょうか。東宝講談社電通が力を入れているようですし。

映画本編は原作を小気味よくまとめていますし、ロケット打ち上げシーンなどのSFXシーンもかなり素晴らしい仕上がりで、丁寧なサウンドデザインもあって思わず引きこまれました。大泉洋をあて書きしているとしか思えない原作の六太を演じた小栗旬は意外にキチンと「ムッくん」に見えるので及第点。ヒビトは誰がやっても別に問題のない役なので岡田将生も軽薄そうでいい。写真を観た時からハマっていた麻生久美子のせりかさんは意外に登場シーンが少なくて残念。20年前の回想でも現在のシーンでも髪型を変えるだけというさすがの堤真一は盤石の安定感で作品に重みを与えています。

<以下ネタバレ>




ただ、いかんせん、原作が好きすぎるのを差し引いても、クライマックス→終盤のまとめかたはいただけない。

相変わらず日本映画の「お泣かせ」偏重の悪いクセがモロに出てしまっており、せっかくのサスペンスフルなヒビトの事故シーンもセンチメンタルになり過ぎている。しかも、脱出から六太合格、しかも二人揃って月に立つをポンポンとまとめられては困る。

また、六太の「実は凄い潜在能力」を示す「具体的なシーン」が値札剥がしとカーテンレールだけではまるで効果がない。六太の主人公としての魅力は、凡人丸出しの卑下しまくる性格の中にある、無自覚の「才能」にあるわけで、この映画の六太はただの「凡人」にしか見えない。最後にちょっと演説して済まそうってのも許せない。ああいうのはアメリカ映画がやればいいのだ。

脚本も可もなく不可もなくそつなくまとめているけれど、それだけあってシーンのつなぎ方がまるで有機的ではなく、ただのダイジェストに見える。それもこれも「具体的」な描写がないからだ。小説と同じで「説明」なんて要らないから「描写」が大事。

SFX絡みのシーンが際立って質がいいだけに、通常シーンでの撮影が実に平凡極まるのも痛い。まるで平成ガメラシリーズのようでアンバランス極まる。とにかく構図も移動もなにもかも、何一つ印象深いカットがない。

ただ、唯一原作を超えて、「映画」ならではの興奮が得られたのは終盤で六太がヒビトのいる月を見上げるシーン。昼間の空に浮かぶ月の映像は、やはり実写ならではの官能性を感じさせるし、事実見慣れている空の月に実際に人間がいるという興奮が伝わってくる。それは切り返しでクレーターの中にいるヒビトが「地球」を見上げるシーンでも同様。あそこは原作にないオリジナルとして高く評価できる。

原作を読んでいない感想というのは不可能なので難しいんですが、単体の映画として観た場合でも、ちょっとフィチシズムが足りないのは好みではなかったです。僕も子どもの頃から宇宙大好きっ子だっただけに、原作にあるような「執拗なディティールの描写」が欠けているのは決定的な欠点ではないでしょうか。

追記:

そういえば、関西人の古谷を演じた濱田岳っていう人。場内がドン引きするぐらい怖いんですけど。原作の彼は関西人をカリカチュアライズしているし、コメディリリーフといってもいいキャラなんですが、映画では飲み会などでのフォローもまったくないので、「お前そんなんで審査によく受かったな」というぐらいただただ怖い関西人でした。あれは彼の責任ではなく演出のミスだと思うんですけど。

もう一つ。キャスティングといえば、六太とヒビトの子供時代を演じた二人が、気持ち悪いぐらい「将来小栗旬岡田将生になりそう」感がすごかった。『スペース・カウボーイ』のイーストウッドの若い頃の役者ぐらい凄いキャスティングだと思いましたよ。よく見つけてきたな!