男たち、野獣の輝き

旧映画ブログです。

Beauty Devaisethのファイナル・ファンタジー14新生エオルゼア奮闘記

機動戦士ガンダム逆襲のシャア

ガンダム・ヒストリカが非常に面白くて、ついついガンダム熱がぶり返している今日この頃です。

この作品には語るべき点が多々あるのですが、今回言いたいのは《三次元の戦闘処理》の巧さです。

実際の戦争や戦闘というのは通常二次元(平面)として処理されるのが当たり前ですが、この映画の戦闘シークエンスは全編宇宙を舞台にしているので、三次元(立体)処理をなされているのです。これの何が凄いかというと、観ているほうは一般的な二次元処理された戦闘シーンの演出には慣れっこになっているので、この作品の三次元処理された戦闘シーンの凄まじい演出に面食らう事になります。
潜水艦での戦闘及び戦闘機での空中戦(もしくは悪魔同士の空中戦や超能力者たちによる空中戦などなど)も、実際には三次元処理されてしかるべきなのですが、演出側の想像力が足りないのか、または観客に対する親切心なのか(イーストウッドが言っているように「観客を信用」しろっての)、ほとんどそういう部分で目を見張る映画というのはありません。なので、逆にそういう部分を的確に描写すると異常に印象に残るわけです。
繰り返しになりますが、この映画の戦闘シーンは殆どが三次元処理を前提にした演出がなされていて、それが実に燃えるわけです。
この作品はモビルスーツ戦の殆ど全ショットで背景の宇宙が前後左右斜めに動きまくり、まったく静止したショットがありません。そのスタイルが強烈な陶酔感を生むわけですが、ここに三次元処理の演出が加わるのでさらに凶悪な効果が生じます。
たとえば、ギュネイとクエスガンダムのバトルは作品中でも白眉で、カメラがガンダムを追うのですが、途中で追いきれなくなる(!)や、パンニングして足元の空間を追ってくるギュネイの機体を捉えるのです。このカット、背景の宇宙空間の引きとガンダムの移動方向とカメラのパンニングが全部違うので、観客はまるでジェットコースターに乗っているような興奮に襲われます。
こういう三次元空間の処理によるカットを畳み掛ける中で、緩急をつけるように戦艦の中ではFIX(固定カメラ処理)が主に使われているのも効果的です。映画の後半は殆どずっと戦っているので異常なテンションですが、こういう生理的なリズムをきちんと取っているので、観客が置いてけぼりになることはないのです(勿論置いてけぼりになる場合も多々ありますが)。
激燃えの音楽の入れ方も最高で、とにかく物量や単調なアクション・シーンの連続であくびの出る最近の映画を観ていると、つくづくこの映画の演出が刺激的です。

ただ、合間に繰り広げられる口喧嘩や、世界観を理解しないとまったく話しに入り込めない敷居の高さがあるので、一本の映画としては微妙な立場にありますが。

でも、アムロやブライトのロンドベル部隊の、地球のために戦うという燃えまくりの動機に支えられた言動が何度観ても胸を熱くさせてくれるんですよねえ。

逆襲のシャア》お気に入り台詞

「このギュネイ・ガスの警告を無視したから!」

勿論独り言なんですが、自分のことをフルネームで言う(しかも「この」つき)のも含めて、極めて富野節炸裂な言い回しで好きです。常に「だからなんだっていうんだよ?」的な言い回しが素敵です。

「あと一撃できる!アクシズを!」

お馴染みの倒置法的言い回しですが、ボクが好きな理由は、静かに熱い魂を持っているケイラが、”生きて戻るのも仕事”である職業軍人にとってはあるまじき動機で行動しているのがよく現れているからです。地球のために戦う動機が全兵士に浸透しているのがすばらしい。

「この左上のプレッシャーはなんだ?!」

ギュネイは名台詞が多いですが、これだけアムロニュータイプとしての凄みをあらわした台詞も無いですね。「左上」っていう極めて具体的な表現もすばらしい。ガンダムも凄いのにアムロはもっと凄いという、敵にしてみたら反則そのものの存在でしょうね。

「ν(ニュー)ガンダムは伊達じゃない!!」

アムロガンダムの絆がよく出ていて、その前の名台詞「たかが石っころ一つ、ガンダムで押し出してやる!」とセットで最高です。「愚民どもに英知を授けて見せろ!」というシャアの口だけ番長ブリと対比しての、アムロの行動で示すすばらしさがよく出ていて勇気が出ます。

そして、一番好きな台詞であり、人生の中でも10本の指に入る名台詞

サイコミュの技術をアムロに与えて、対等の立場で勝負しようとした傲慢なシャアに対して

「馬鹿にして…そうやって貴様は永遠に他人を見下すことしかしないんだ!」

もう、これですよこれ。他人を見下す心が全ての元凶であり、そういった心との戦いなんですよね。絶対にアムロだって思われているだろうし、言われているはずなんですから。その心の叫びが胸を打つんですよね。レビル将軍も言っているように「ニュータイプは戦争なんぞせんでもいい人類のことだ」って事で、ここを乗り越えようよっていう富野監督の心をアムロが代弁しているようで大好きです。