男たち、野獣の輝き

旧映画ブログです。

Beauty Devaisethのファイナル・ファンタジー14新生エオルゼア奮闘記

『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』(★なし)

<ネタバレあり>


3年ぶりのヱヴァンゲリヲン新劇場版三作目。前作『破』で期待値を大きく上げた状態で公開を待ち望んでいた作品ですが、結果的には非常に「ガッカリ」しました。

理由は二つ。

一つ目は庵野秀明という人間の底意地の悪い性格の悪さが前面に出てしまった、ただの拡大再生産にすぎない内容とそれを許してしまった自分自身。さんざん期待させておいて「期待するのはそっちの勝手でしょう?」とニヤニヤ顔で椅子を取っ払う性格の悪さは許しがたい。自主制作のアマチュアならそれも許されるが、押井守同様「クリエイターとは?」という魔物に取り込まれてしまっており、それにまったく気づいていない浅薄さが観ていて非常にキツイ。プロなら鑑賞料金に見合う分だけのサービス精神を示して欲しい。

二つ目は根本的な出来の悪さ。

作品としての出来が良ければ結局上記の事柄も「仕方ないな」で許してしまうんですよ。この映画単純に酷く出来が悪い。何がどうなっているのかさっぱり状況を説明しないまま始まるアクションシークエンスはワンパターンなスピード感演出と勿体つけた専門用語の羅列という古臭いスタイルですし、主人公がどうやってサルベージされたのかという説明もないまま、観客の視点同様「何が何だかさっぱり分からない」まま延々と最後まで進んでしまう。説明をしないというのをカッコイイと思ってやっているなら、映像や各シーンの演出がどれだけカッコイイのかと思えばそれも20年近く前の自作の(つまらない)繰り返しにすぎなくてこれまた非常にかっこ悪い。

観客を楽しませようとするエンターテイメントを放棄しているなら、せめてそれを上回るぐらいの斬新で衝撃的なビジュアルなり演出なりを示さないと、「なんだ、こりゃ?」で終わってしまうし、しかもそれで終わっているなら「ああ、そうだったの?」と忘れれば済む話ですが、「つづく」って何なんだよ?

もともとエヴァンゲリオンという作品そのものが庵野のオナニー作品ではあったのですが、少なくとも当時はその演出なりスタイルなりが斬新でカッコ良かったんですよ。ただ、もう21世紀にもなっていますし、完全に消費され尽くしてただただ古臭いものに成り下がっている事をもうちょっと自覚して欲しかった。少なくとも『序』『破』にはそれを上回る心意気を感じていただけに、それを「意図的に」裏切った行為はとても許容できない。

こんな作品が世の中に存在すること自体に果てしない憤りを感じてしまう。


ガッカリだ。