『キックアス』について、個人的な解釈を色々と書いてみました。
キック・アス (ShoPro Books)
マーク・ミラー ジョン・ロミータJr.
小学館集英社プロダクション 2010-11-19
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三角関係のお話
ネットやTwitterでの感想を読んでいると、「主人公のキック・アスが空気」という意見と、「ヒット・ガールとレッド・ミストのふたりが親離れをするのがメイン」という意見が多くみられます。
「キック・アスが空気」というのは分からなくはないのですが、あれは見せ場的にどう考えても「ヒット・ガール」に比重が置かれている事と、観終わったあとに彼女のことが異様に印象に残るから生じているだけで、やっぱりこの映画は「キック・アス」がちゃんと主人公として機能していますし、彼は大変魅力的なキャラだと思います。
あんなに大好きだった英語教師の巨乳には目もくれず、一心不乱にノートに名前を書き連ねるデイブ。これだけでも「僕らの仲間感」100%!
「ヒット・ガールとレッド・ミストの親離れ」
さて、今回のテーマはこちら。ヒット・ガールとレッド・ミストがそれぞれ「父親の存在から開放」されるテーマが、キック・アスにはあまり絡んでいないのではないかという意見。これも「キック・アス=空気」みたいな印象を強くしているようなんですが、ボクの個人的な意見としては、逆にレッド・ミストもヒット・ガールもそれぞれキック・アスを求めた末に、「キック・アスとパートナー(文字通り)になれたヒット・ガール」と「キック・アスとパートナーになれなかったレッド・ミスト」という三角関係に似たテーマが強く印象に残ります。
まあ、ボク自身が父親不在の家庭で育ったせいで、そういうのを意識することが余り無いからかもしれませんが。ははは。
コミックではデイブの視点で物語が展開していく構造もあって、ヒット・ガールもレッド・ミストもそれぞれヒーローの姿でキック・アスの前に現れます。対して映画はヒット・ガールであるミンディと、レッド・ミストになるクリスが、それぞれの視点で絡んで描かれます。
そして、それぞれ人間の状態で「キック・アス」の登場に興味を惹かれるんですね。
つまり、エディプスコンプレックスというファクターも当然あるにせよ、もっと簡単に二人は「友達」が欲しかったんじゃないかと解釈しています。クリスはギャングが父親という特殊な環境。ミンディはニコラス・ケイジが父親という特殊過ぎる環境(笑)。友達なんか出来るわけがない。
登場シーン、デイブが友だちになろうと近づくと、嬉しそうに微笑むクリスが印象的です。
直後にデブのボディーガードに遮られてしまうんですが。
ミンディはある意味理解のある父親のおかげで、すぐにキック・アスに接触することが出来ますが、全くの期待はずれに終わります。
ビル超えも出来ないキック・アスに呆れるヒット・ガール
一方レッド・ミストとキック・アスは、お互いに「基本普通」の人間なので、意気投合します。
去勢をはるキック・アス
ゴミ箱程度から着地に失敗するレッド・ミストに喜ぶキック・アス。ビルを越えて呆れられるのとはぜんぜん違う。
しかも、レッド・ミストは車付き。つねに移動は自転車のキック・アスとは雲泥の差。
ただ、基本スネ夫キャラであるレッド・ミストは、キック・アスに仲間がいることを知って勝手に嫉妬するんですね。
しかも、相手がこんなカワイコちゃんだったもんだから、即射撃!
父親のご機嫌取りを優先したレッド・ミストには、当然友達を得る資格などなく、キック・アスはヒット・ガールを選ぶことになります。
えええええ!?!?
大人なら黙って引き下がるのがマナーですが、そうはいかないのが子供。当然、ふられた男と同じで、やることはひとつ「逆恨み」しかない。
そんなら徹底的に邪魔してやるぜ!
誰かと誰かが結ばれれば、当然あぶれる人間が生まれるんですよ。
というわけで、アメコミ世界に通じていなくても、これ以上無いほどの普遍性あふれるテーマを描いているから、シンプルに燃えたり感動できたりするんだと思いますけどね。
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