男たち、野獣の輝き

旧映画ブログです。

Beauty Devaisethのファイナル・ファンタジー14新生エオルゼア奮闘記

複眼の映像 私と黒澤明

複眼の映像 私と黒澤明

複眼の映像 私と黒澤明

「全部OKカットで繋いでいます」

前から気になっていた本だったのですが、立ち読みしてみたら止められなくなって。

脚本家の橋本忍黒澤明との共同脚本に絞って色々と書いている本なのですが、プロローグともいうべき師匠伊丹万作とのエピソードから、いよいよ『羅生門』誕生までのいきさつまで読んじゃうと止められない。
エピソードとしてはどれもこれも殆ど今まで読んだ本などで知っているモノなのですが、やはり当人が書くと(そして、橋本忍自身が非常に上手いので)べらぼうに面白くなる。

まずは勿論『羅生門』のエピソードから。

芥川龍之介の『藪の中』をそのまま中編の脚本として仕上げ、『雌雄』と題したソレは、黒澤明の目にとまって映画化されることになる。

 向かい合うと黒澤さんは生原稿を差し出し切り出した。
「あんたの書いた、『雌雄』だけど、これ、ちょっと短いんだよな」
「じゃ、『羅生門』を入れたら、どうでしょう?」
羅生門?」

何の脈絡もなく『羅生門』を口にした橋本忍がそれからあれこれ散々悩むくだりが面白いんですが、何のためらいもなく代案を打ち出すこの展開が痺れます。
何の自信も根拠もないのに『羅生門』を持ってきた橋本忍ですが、この時すでに何かしらのアイデアを持っていたはずの黒澤明がそのアイデアを話さすにこの代案に乗るんですね。

この後『羅生門』をアレコレいじくってがんばる橋本忍ですが、ヘルニアで動けなくなってしまって脚本の直しに参加できなくなる。そして、黒澤明が直したシナリオが、完成のアレになるわけです。『羅生門』の中に『藪の中』を入れ子にしてしまう構造と、原作にはない(そして、映画『羅生門』のクライマックスである)木樵の実際の証言が付け足されている話、そしてラストの赤ちゃんをめぐるお話。これらは黒澤明が自分で書いたと言っていたのは知っていたのですが、橋本忍本人の筆で証言されると何とも実感があって良いです。

『生きる』のエピソードも最高で、最初の打ち合わせからしてどんどんアイデアが出まくる展開が素晴らしいです。もうホント作り話じゃないかと思えるほど、とんとんとあの傑作が出来ていくんですよ。
中でも橋本忍が書いた『あらすじ』がビックリするぐらい要点をとらえつつ端的にまとめてあるのに舌を巻きました。

 

 役所の役人が胃癌で長く生きられないことが分かる。肉親の愛に頼ろうとしたり、ヤケになり酒や女の道楽に踏み込もうともする。だが、それらからは何も得られない。絶望の果ての無断欠勤が続いたある日、役所で机の上の書類を見る。住民から水漏れの暗渠工事の陳情書、半年ほど前に自分が土木課に回した案件、それがタライ回しで十数カ所を転々とし、また自分の机の上にある。彼は習慣的に土木課へ−−だがそれを止め、実地調査を行う。そして水漏れの湿地帯を排除する仕事にのめり込み、その後にささやかな小公園を造り−−死んでゆく。
 彼は三十年間役所に勤めた。だが大半は生きているのか、死んでいるのか分からないミイラのような存在で−−真実の意味で生きたのは、水漏れの湿地帯の暗渠工事を始め、小公園が出来るまでの六ヶ月間だけだった。


すべての要素が漏らさず映画に残っているのが凄い。

それを受けての話し合いで、いきなり黒澤が有名な冒頭のタライ回しシーンのシナリオを書いてきて2人に見せるくだりもたまりませんでした。それから主人公のキャラ作りや何かをどんどん詰めていくんですが、個人的に大好きな、
「渡辺勘治はは、夜寝る時にだよ……背広のズボンをきちんと延ばし、布団の下へ敷き、丁寧に寝押しをする、ここ三十年間、毎晩だよ」
と言うエピソードが小國英雄のアイデアだったのも初めて知りました。

旅館での合宿でも、黒澤と橋本の書いたシナリオを、司令塔としてチェックするだけの小國英雄が最高でした。

「黒澤……これちょっとおかしいよ」
 黒澤さんが顔を上げ、私も小國さんを直視する。
「これはあかんなァ」
「なにがあかんのだ!」
 私はドキッとして黒澤さんを見た。黒澤さんの顔は怒りで蒼白に硬直している。
「小國! なにがあかんのだ!」
 それは凄まじい怒気を含む殺気だった声だった。
 (中略)
 黒澤さんが突然怒鳴った。
「お前のいう通りなら、渡辺勘治は途中で死んでしまう!」
「死んだっていいじゃないか」
「なに!」
「渡辺勘治が死んだからって、後が書けない訳はないよ」
 黒澤さんが黙り込み、小國さんはまたモグモグとなにかいいだした。黒澤さんはなにもいわずに、小國さんのモグモグが続く。やがて黒澤さんが叩きつけるように、
「分かったよ、小國!」
 黒澤さんの顔は蒼白から憤怒の赤に変わりつつある。その黒澤さんが腕を突き出し、小國さんの返す原稿用紙を引ったくると、ビリ、ビリッ! と引き裂いて破ってしまい、
「お前が約束どおりに来なかったからだぞッ!」


もちろん、映画史上に残る『生きる』中盤の構成を生み出すエピソードなんですけど、納得しつつ激怒している黒澤明がキャラ立ちまくりなんですよね。とにかく読み物として黒澤明というキャラクターがやたらと面白いです。ラノベ風に言えばツンデレですか?

「なにがあかんのだ!」「お前が約束どおりに来なかったからだぞッ!」

一度は雄叫んでみたい台詞ですな。


続く『七人の侍』は当然面白過ぎるエピソードが生々しく綴られていてるのですが、こればっかりは是非本書を読んでみてください。鳥肌立ちまくりですから。


で、後半に橋本忍野村芳太郎とのエピソードを書いているのですが、ここで2人が『ジョーズ』を観たときの話が登場。

 

 私が、
「出来のいい映画ですね」
 野村さんは大きく頷いた。
「全部OKカットで繋いでいます」
 私は黙って頷いた。その通りである。
(中略)
「本当に頭からおしまいまで全部OKカットですよね」
「橋本さん……これからスピルバーグの映画はもう見ることはないですよ」
「え?」
 野村さんは少し上目で私を見た。眼鏡の奥の眼がキラっと光る、底意地の悪い、少し冷酷な顔付きでもある。
「映画の監督を一生やってたって、そんなのは一本出来るかどうかですよ。だから彼には、この『ジョーズ』が最高で……これから先はなにを撮っても、これ以上のものはもう出来ませんからね」

橋本忍も「時空を超える空恐ろしいまでの先見性である」と書いていますが、確かにその通りなのだから恐ろしい。

「全部OKカット」

って良い表現だよなあ。あの映画をズバリ言い得ていると思います。

ボクの座右の書は岩波書店の『全集黒澤明』ですけど、これを読んでから読み直すとまた感慨深いモノがあります。

全集 黒澤明〈第3巻〉羅生門 白痴 生きる の頃→『羅生門』と『生きる』はこの巻
全集 黒澤明〈第4巻〉七人の侍 生きものの記録 蜘蛛巣城 の頃→超傑作『七人の侍』はこの巻