■
大学入試らくだいなぐさめパーティー
これまた読んでない人はほとんどいないと思われる、有名な第一話ですね。小学四年生の1月号に掲載されているので、当然お正月ネタ。なのですが、主人公のび太にとっては、
「ぼくはもう、生きてるのがいやになっちゃった。」
と、号泣するほどまったくめでたくないエピソード。
部屋でストーブを足下に置いて、座布団枕にモチ食ってるという、幸せを絵に描いたようなのび太の登場コマは、急転直下で奈落の底へ突き落とされちゃうんですね。(ちなみに読んでいた漫画は『オバQ』)
↑記念すべきドラえもん初登場。「……かしら」口調も絶品ですが、「気にさわった」もなにも、いきなり「首をつる」だの「火あぶりになる」だの言われてさわらないほうがおかしい。「いやあろくなことがないね。」ってのも最初のセリフとしては最悪。友だちになる気がないのは最初から暗に宣言していたわけだ。「友だちになっておくれよ」と素直に迫ってきたQちゃんとは何かが違う。のび太の互い違いの目が無理もなくて笑えます。
挙げ句に、この風船デブときたら
「そんなこと、どうでもいいじゃない。」
と、机から出てきたことなどの、一切の疑問をすべて棚上げした上に、
「きみは年を取って死ぬまで、ろくなめにあわないのだ。」
と、断言。笑顔で。
「死ぬまで」ってのも突き抜けていますが、「あわないのだ」の「のだ」が抜群。
のび太も「エーッ!!」と、無理もないリアクションをするや、いきなり正座して反論。
またまた、風船デブが
「それがわかるんだ。」
と満面の笑顔で続けて、アオルんですが、結局モチを食べて満足するや、
「どうもごちそうさま。」
と机へ帰って行く。
腕組んで憮然と見送るのび太も爆笑ですけど(だからツッコめって)、このあたりのテンポとか外し方とか無茶苦茶面白いんですよねえ。ドラえもんの好物は最初どら焼きじゃなくてモチだった、なんていうトリビアはどうでもよくて、なんで肝心の話の途中でモチくったあげくに満足げに引き上げるのかってところですよね。
「アハハ、じいつにくうだらない。」
と、のび太も実にナイスなセリフ。「ゆめを見ていたんだ。」ってのはのび太がしょっちゅう自分を納得させるために使う欺瞞ですが、結局不愉快な事ばかり予言して去っていったドラえもんの初登場は、ゆめではすまされない面白さです。
そして、次に孫の孫のセワシくんが登場。
こいつもこいつで、6コマぶっ続けでのび太を唖然呆然とさせる。この漫画ならではの演出がすこぶる最高。
よくもまあ自分の先祖にここまで酷いこと言えるもんですよ。
とは言っても、未来から自分の手助けにロボットがやってくるっていうフォーマットを絶妙に引っ張っているのが巧い。
ただし、常にギャグを忘れない。のび太も常に正座の臨戦態勢。
あのアルバムで紹介されるのび太の未来は、やたらとリアルな悲惨さが冴え渡っています。根本的に奥さん次第で未来が変わるってあたりも、極めて現実的な未来感が提示されていて苦笑です。ジャイ子がどんどんでかくなっていく写真だけでも相当の鉄板ギャグですが。
↑ちいさく切れている写真で足蹴にされているであろうのび太がチラっと写っています。「その後の生活。」っていう淡々とした説明が大爆笑。
そりゃ
「うそだあ!!」
ってもんです。
この場面、次のコマでいきなりほうき持ち出して荒れ狂うのび太が最高です。ジャジャーンとあんな写真を見せられたら無理もないですが、演出的にもアルバムの紹介の間に一切のび太たちの描写が入らない(わなわな的な)あたりが極めて秀逸。タメにタメて、いきなり大爆発するから面白い。
ドラえもんたちを追い払い、パパとママにおだてられて気を取り直したのび太に、予言された首つりの時間が迫る。
「いま、ぼくは首をつりたいか?」
「つりたくない。」
「つりたくない者がつるわけない。」
ロジカル極まる独り問答が実に印象深い。
結局しずちゃんとジャイ子の羽根突きの羽が屋根にあがり、なんの疑問も抱かずにそれを取ろうとして、本当に首つりになってしまうのび太。
「やあ、首つりだ、ガハハハ。」
ジャイ子の有名な最初のセリフ。一発で嫁にしたくないセリフ。
もうここで「あ、あたった!!」ってビックリしてブルブル震えているのに、次のコマでしずちゃんにハネつきにに誘われるともう忘れてしまう。それでこそのび太よ。
「ブジョクされたあ。」
ジャイ子のこれまた有名なセリフ(ブジョクってカタカナで書かれても結構なボキャブラリーです)。
風呂に落ちてストーブにあたるのが「一種の火あぶり」ってのも、パラノイア状態ですねえ。ママも「なにいってるの。」ってもっともなセリフ。
そして、いよいよ、このエピソードのクライマックスである、「ぼくの未来がうつっている。」アルバム開示。ブルブル震えて、汗だくで、黒バックで見始めるのび太。
そして、その中身は、充分それに値する衝撃の内容。
↑生々し過ぎる。
ジャイ子が赤ちゃん抱えて怒ってるのがホントにリアル。就職できなかったから会社設立とか、会社丸焼けの原因が自分の花火とか。
しかもよく考えたらこんな写真、撮っているどころか(大体「記念」って何だよ)、アルバムにご丁寧に残しているわけないんですよ。明らかにこれはセワシくんがドラえもんと一緒に自分たちの貧乏さがどうしてかっていうのを調査しに行って撮ってるわけでしょう。それをわざわざご丁寧にアルバム偽装してまでのび太をどん底に落ち込ませる。まったくタチが悪い。
「借金が大きすぎて、百年たってもかえしきれないんだよ。」
「今年のお年玉がたった五十円。」
酷い……
のび太は本当に素直で良い子だから、号泣ですよ。水たまりが出来るぐらい。
そこで、菩薩のような笑顔でドラえもんとセワシが語りかけるんですね。
「運命は、変えることだってできるんだから。」
ここでも、ちゃんとのび太にタイムパラドックスの疑問を抱かせて、「東京→大阪」理論で丸め込んだりするのが、やけにキチンとしていてF先生の凄さが爆発。
ここまでお膳立てして遂に
↑首つりも火あぶりも防げなかったくせに!!!!
初期ドラえもんは風体が風船デブっていうだけでなく、Qちゃんを引きずってドジばっかりの役立たずなんですよねえ。家の奥さん曰く「不安になる」。まったくその通りで、第一話目で彼はまったくのび太を好転させていないですからね。絶望させただけ。
それでも、この一大宣言を受けて、洗脳の成果が立派に仕上がったのび太は
「よろしく、よろしく。」
と取りすがる。わはははは。
F先生の漫画はキチンと第一回で『出逢い』を描いて始まるのですが、その時にあわせて主人公の男の子が「ダメ」なやつとして描かれます。つまり読者である小学生が共感しやすくしているんですね。しかし、この『ドラえもん』は、この「ダメ」の描写が念入りすぎるのがとにかく面白いんです。一話全編がソレですからね。
で、『ドラえもん』が他の作品と違うのは、のび太がキチンと主人公になっていることなんですね。ただたんにドラえもんがドタバタやるための発端になっていない。初期のドラえもんはあくまでもドラえもんがメインでドタバタギャグをするわけなんですが、直ぐにのび太がメインキャラになって話を転がしていくようになる。これはやっぱり、この第一話で無意識なのか徹底的に「ダメ」描写をしていくうちにF先生が「のび太は自分です」と言い切るほどに、のび太のキャラクターを確立したから何じゃないかと思うんですよね。
ただのギャグに過ぎなかったはずの、あのアルバムの生々しい未来像が、結果的にはのび太の人物造形に大きく影響を与えているとボクは思いますね。
それにしてもインパクトのある第一話ですよまったく。
基本的にF先生のギャグのスタイルは《ツッコミレス》なんですよね。常にボケっぱなしで、ツッコミを本編に入れない。入れたとしても「なんだ、こりゃ?」に代表されるような、《突き放し》タイプ。この感覚が「白け」具合を増幅させるのです。
この第一話でも完全に展開がボケの連続で大笑いです。先述のドラえもんがモチ食って帰って行くくだりの「ボケ」っぱなし加減は出色。
こういう読者が常に(無意識にしろ)ツッコミを入れながら読むというスタイルは、作品との間にコミュニケーションが生じると思うんですね。それでより楽しめるという。レベルの高いギャグってのはそういうもんだと個人的には思います。読者を信じているんでしょうね。