男たち、野獣の輝き

旧映画ブログです。

Beauty Devaisethのファイナル・ファンタジー14新生エオルゼア奮闘記

ショック演出についての考察

フォーガットン・ショック”から一夜明けて、UREさんのコメントに対する往復書簡的な内容になりますので、日記に書いておこうと思います。

映画の中で観客にドッキリ系のショックを与える目的は色々ありますが、基本的には観客にショックを与えることで”映画を観ている気構えを開放”させる事だと思います。人間はショックを受けると神経が警戒状態に陥るので集中力が増し、集中力が増すということは暗闇の中(劇場の中)では映画に対して働くことになる訳で、それが映画への没入を促すことになるんだと思います。本来ホラー映画やサスペンス映画などでこれを多用するのは、映画に没入してもらわないと恐がらすのに都合が悪いからです。つまり、本来<手段>であるこれらが<目的>に変わってしまうと、単なるこけおどしになってしまうわけですし、緊張を継続するために常にショックを与え続けないといけないので、終始ショックを与える垂れ流し状態に陥ってしまっているわけですよね。

話がそれましたが、それらの”ショック演出”も時代に従って様々な進化やバリエーションを生み出し、それらがどれだけの効果を生み出すのかに注目する見方もこれはこれで面白いんですね。観客の精神状態を細かくコントロールすることで効果の強弱に大きく違いが生まれるという意味でも、演出力の技量が試される部分でもありますし。

これらのいわゆる<ショック演出>は観客の「不意」を突く事を基本とした構造で、その前の下準備で「不意」を作って、絶妙のタイミングでそれを突く。この二つを絶妙のタイミングでやることで効果が生まれていると思います。

それらにも幾つかパターンがあるんですが、最も効果があるのは

A.観客の気を逸らせる→会話のキャッチボールなどで気持ちを連続性を生み、
B.そこに「フ」と不意を突く異分子を画面に登場させて
C.観客が「あ」と思うギリギリの瞬間の生理を削って衝撃的な映像と編集と音響でショックを与える。

この3段階が巧く配分されると強烈なショックが観客に与えられると思います。

幾つかの例に置き換えると

フォーガットン』の追突シーン

A.車内でヒロインと男が物語の骨格に関わる重要なモチーフについて会話を始める。カメラはボックスシート上部を基点として運転席と助手席の二人をカットバックでつないでいく。カメラワークは標準的なアングルと編集のテンポは会話にあわせて平均的。

B.会話が核心に入ろうとする時にヒロインが会話を途切れさせることで、観客は次の一言へ注意が向いている。そこへ、「フ」とヒロインの背後のガラス越しに真一文字に向かってくる車がフレームに。

C.観客が「アッ!」という「ッ」に入るか入らないかのところで激突!

ボクは友人の車に乗っている時に、軽い正面衝突を経験したことがあるのですが、自分がぶつけられる瞬間って言うのはまさにこの心理的タイミングなんですよ。多分「アッ!」の「ッ!」まで間があると、ハンドルを切るとか身構えるとかの対処する余裕が生まれるんだと思うんですね。その余裕を与えないタイミングが非常に重要なんだと思います。
勿論【A.B.】で、「不意」を作る事も重要なので、演出は常に複数の構造で成り立たせなくては効果があまりないと思います。

ボーン・スプレマシー』の追突シーン

A.パトカーに追われて狭い路地を走り抜けて大通りに踊りだすジェイソンの車。ジェイソン必至にハンドリングしてスリップを回避しながら後方のパトカーを振り返る(フレームで言うと左)。

B.ジェイソンの横のサイド・ウィンドウの視野に大通りを直進してくる車が既に目前に接近している。

C.観客が「ア」と思うと同時に追突されて衝撃。

この場面では「不意」をジェイソンの注意と観客の注意を後方のパトカーに向けることで生み出していますが、編集のテンポがすでに目まぐるしくクラッシュのタイミングと同一なので打ち消されている感もあります。ただ、重要なのは後述することにも関係しますが、ジェイソンが直進する車の方に気づく描写と、後方のパトカーの描写を省いていることです。通常のカーチェイスだとどちらかもしくはどちらも入れてしまうので、観客に身構える余裕を与えてしまいます。C.の生理を削るタイミングに関してはバッチリなだけに、ショック効果をカーチェイスの燃える効果として使用している点では他の『フォーガットン』の使用法とは根本的には違うでしょうね。
あのシーンでは、例えばジェイソンが後方のパトカーを振り払うために急スピンをしてわざと追い抜かせて、大通りを出た瞬間にまたターンして離脱しようとする瞬間に思わぬアクシデントとして追突されるという風にすると衝撃度が増すんではないでしょうかね。「不意」を作る事と「気を逸らせる」→パトカーを振り切った! という構造のところへガツーン!と。サイド・ウィンドウの流れる方向も、バックしているだけに人間の生理とは逆転しているので衝撃度も上がると思うのですが。

『ジョーブラックによろしく』の事故シーン

A.一目ぼれした相手を見送って、振り向くかどうかのぼせ上るブラピ。案の定振り向いて観客もブラピも気持ちが浮つく。

B.その気持ちのまま道路を渡ろうとしたブラピへクラクションが鳴り、ビクっとしたブラピの前を車が猛然と走り抜けていく。一瞬観客は身構えますが、間一髪大丈夫だったのとロングショットになって道路をブラピが横断……

C.する瞬間にフレームの空間が殆ど無い方向からの車が突然のブレーキ音と共に現れてブラピを撥ね上げる! そのままブラピは一回転して道路に落ちると思いきや対向車のフロントに直撃してもんどりうってフレームアウト。場内戦慄!!!

『ジョーブラック』のこのシーンの衝撃はメタな部分も含めて強度が高く、ブラピ演じる青年が冒頭付近で交通事故で死ぬことは予告でも仄めかされているのと、物語の雰囲気がまったくこういう直撃的な演出を想定していないので、クラクションで通り過ぎる車の「不意」が非常に効果的に作用しているんですね。誰もが「アレ?」と思うんですが、その「ア」の部分で訪れる衝撃シーンが、フレームの構図効果を観客の心理的効果まで計算されて生み出されているので、100%鉄板の恐るべきショックを観客に植え付けるんですよねえ。通り過ぎた車に対してブラピと観客の注意を向けつつ、これ以上無いタイミングの「ア」でフレームインする車は強烈です。
まあ、問題なのはその後の一回転したブラピをさらに対向車にぶつけるという、サド度全開のアイデアに尽きるんですが、全く違和感を感じさせない恐ろしいほどの完成度のVFXさと、その必要の無さっぷりも加えてすこぶる印象に残り過ぎる迷シーンになっていますよね。