男たち、野獣の輝き

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Beauty Devaisethのファイナル・ファンタジー14新生エオルゼア奮闘記

魔界転生★1/2

先ず、説明がスーパーで出てきた時点で、「まずいな…」と言う予感。ただ、説明文だろうがなんだろうが、効果的に盛り上がるよう出てくれるならいいのだが、ただの説明不足の補足なので全く効果が無い。

娯楽映画の鉄則は、

常に盛り上げる努力をする。

金が無いなら金が無いで盛り上げる。
スターが出ないなら出ないで盛り上げる。
脚本がダメならダメで盛り上げる。
アクションが出来ないなら出来ないで盛り上げる。

常に盛り上げることを考えるべきだと僕は思う。

しかるに、平山監督の演出は「これぐらいでいいだろう」的なムードが全編に漂う。

シナリオもしかり。

比較することはナンセンスだが、深作版の「魔界転生」はこの盛り上げる努力しかしてない。

結果、話は破綻してるは、セットはちゃちいは…

なのに盛り上がる。

異常に盛り上がる。

盛り上がるどころか、最後は燃え上がるとこまで行っちゃう。

そういう「これ!」と言う見せ場というか、監督がやりたかった見せ場がまるで無いのだ。

「歴史に残る剣豪たちが甦って、そいつらと柳生十兵衛が一人で立ち向かわなければならなくなる」なんてどう考えても面白くなるプロットだ。

なのに、それぞれの剣豪たちとの戦いに創意工夫がまるで無い。いや、ないならないで盛り上げてくれればいいのに、まったく盛り上がらない。盛り上げてるつもりなのかもしれないが、盛り上がらないのだからしようがない。

大体、どいつもこいつも誰一人強そうじゃない。

強そうなのは、勿論所作を含める立ち居振る舞いなども非常に重要だが、それがなくてもアクションの基本中の基本である「前振り」と「段取り」で強そうに見せなければいけないんじゃないのか?

例の「天才」を天才らしくみせるためには周りの反応が一番適切だし、効果的なのと同じ。(「アマデウス」を参照)

例えば宮本武蔵が桁外れに強い奴なのが重要なのに、この映画の宮本武蔵の弱そうなこと弱さそうなこと。

とにかく、宮本武蔵が現れたら、「勝てるわけねええ!!」って思わせないと、戦いが盛り上がらない。(他の奴全部にも言える)

この作品では意図したのか何なのか、佐藤浩市の十兵衛を弱く見せる事で、他の奴を強そうにみせようなどという最低の手段をとっているが、まったく馬鹿馬鹿しい。

山場を盛り上げる方法論の一つは、まず「絶体絶命の状況」「勝てるわけねえ!」だ。

ジュラシック・パークのT・レックスなんて登場するやいなや、絶対に勝てるわけねえ!って思わされる。(ただ、あの作品の欠点は、結局「勝たない」事に異論はあるまい)

ジョーズの鮫なんて、「8メートルだ…重さ3000キロ!」よ。勝てるわけねえっての。

ロード・オブ・ザ・リングバルログなんて、あんなにウジャウジャわいて出てきたゴブリンが潮が引くように逃げるし、唯一の頼りのガンダルフ「逃げろぉぉぉぉ!!!って先頭突っ走って逃げちゃうんだから、勝てるわけねええ!!

つまり、そういう風に戦いを盛り上げてくれれば、否応無く立ち向かう柳生十兵衛に感情移入しちゃう(応援効果)。そして、感情移入させれば必ず盛り上がる。

逆に、ブルース・リー・スタイルの「こいつ強すぎる」っていう、主人公が負けるわけねえ!っていうスタイルもあるにはある。(かなり許されるキャラが限られるけど)

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ 天地大乱」が、何で凄いかって云うと、至上例が無い「負けるわけねえ」キャラと「勝てるわけねえ」キャラが戦ったこと!(しかもちゃんと決着がつく!「ゴジラキングコング」や「マジンガーZデビルマン」とは違う。まあ、後者は戦いすらないけど)

まあ、御託を色々と適当に書いてみましたが、結局何一つ盛り上がる要素もなく、見せ場も無い、娯楽映画としての存在価値がまるで無い映画であり、それだけなら罪も無いが、格好の題材を無駄にしたという事が大きな大罪だ。