男たち、野獣の輝き

旧映画ブログです。

Beauty Devaisethのファイナル・ファンタジー14新生エオルゼア奮闘記

エンドレスエイトに思うこと

今回京都アニメーションが「やらかした」、

エンドレスエイトを額面通り8(エイト)回エンドレスにしてみた事件(実験)”

ボクはこれについては条件付きで肯定しています。つまり、「ループしている時間を視聴者に追体験させて、脱出したときの開放感を疑似体験させる」という目論見は成功していると思うからです。実際に8回目の『脱出編』では、クライマックスでボクは十分すぎるほど開放感を味わいましたし、あれに関しては原作小説ではまったく味わえなかったものです。まあ、そもそも原作自体がそういう開放感を目的としてないわけですが、それに関してはおいておいて。

そして、こういう実験が商業として成立するのは、ハルヒというパッケージが充分それに応えるほど頑強だったというところもあります。

たとえば、押井守監督の『ビューティフル・ドリーマー』は絶対に『うる星やつら』の劇場版第二作という条件でなければ成立しなかったでしょうし、『機動警察パトレイバー2theMovie』という傑作も同様だったと思います。

なので、京都アニメーションの実験精神は高く評価したいと思うのです。

ただし、

ビューティフル・ドリーマー』は、作品そのものが傑作でした。『機動警察パトレイバー2』も。

対して、

涼宮ハルヒの憂鬱』の『エンドレスエイト』8本はどうだったでしょうか?

ここが非常に問題で、実質的には単品作品として観た場合、原作にはない『第一回目の時間』である第一話、原作通りだと思わせて脱出できなかった第二話(このエピソードは演出なども突出して出来が良かった)、そして、今回の『脱出成功編』の第八話。この三本ぐらいしか単独での評価はしにくいのではないでしょうか。何本かは随所に面白い演出も観られましたし、刺激的なカットも散見されました。ただ、それぞれが「傑作」というには無理がある。単純に『エンドレスエイト』自体が『涼宮ハルヒの憂鬱』の他のエピソードに較べても相対的に少し大人しいんですね。8本まるごとで一本と考えても、『ライブアライブ』などの傑作に到底及ばない。

ここが根本的な批判になっているんだと思いますし、そこが商業的娯楽作品の大原則を考えさせられますね。

つまり、


面白くないと意味がない。


と言うわけで、『エンドレスエイト』という作品群は、本放送で観てきた人間がのちのち「あんときは参ったなあ」と話のたねにする程度の意義しか見いだせなかったと、個人的には思います。

何度も書いてきましたが、せっかく実質的な3本以外に5本も作るのですから、絶対にオリジナルエピソードを作るべきでした。それを作っていれば絶対に評価は違っていたと思います。