『天空の蜂』★★★1/2
待望の日本産パニック映画の傑作
1975年7月に、奇しくも二本の国産パニック映画の傑作が日本国内で封切られている。
この二本は『大空港』から始まるパニック映画ブームの流れを経て、『日本沈没』の大ヒットや『ポセイドン・アドベンチャー』等のディザスター映画のブームを強く意識した大作として、それぞれ東宝と東映が送り出した映画だ。
しかし、この二本の映画は他のパニック映画大きく異なる。それはこの二本が「犯罪映画」であるということだろう。
『東京湾炎上』は石油を満載したタンカーをハイジャックしたテロリストが東京湾を含む湾岸地区及び首都圏そのものを人質としたテロリズム。
『新幹線大爆破』は大量の乗客をのせた新幹線に爆弾を仕掛けた犯人が身代金を要求する。
枠組みとしてはオールスターによる『パニック映画』ではあるが、この二本は『犯人とその脅迫手段対警察及び政府』というプロットがメインである。
ご存知のように『新幹線大爆破』は海外でカット版が公開されたことによってカルト化しているし、『東京湾炎上』も知る人ぞ知る傑作であり、その犯人とその非常にユニークな脅迫手段(石油タンカー、速度設定による爆弾)が生み出すあの手この手の見せ場の面白さは今でも全く色褪せない。とはいえ、現代の視点で観るとやはりいささか冗漫であったり、観る側に意識の調整が必要とされるミニチュア前とした特撮などなど、諸手を上げてオススメするには苦しい部分もある。
ハリウッドでは『ダイ・ハード』のヒットによって、70年代パニック映画の潮流はアクション映画のカテゴリーの中で復活を遂げたが、日本の国産パニック映画を代表するこの二本の潮流はなかなか日本では復活することはなかった。
唯一の例外が超傑作『機動警察パトレイバー劇場版』だ。
『東京湾炎上』同様、東京湾沿岸と首都圏一帯を人質とする犯人とそのユニークな脅迫手段との戦いは、モノの見事に二本の国産パニック映画の真髄をつかんでいる。さらに、その犯人像と思想的犯罪がまたこの映画独自の凄みになっているのだが、それはここでは措いておく。
そんな中、40年後の2015年。
遂に日本映画が『東京湾炎上』『新幹線大爆破』と並ぶ「国産パニック映画」の傑作を創りだした。
【不勉強ながら原作は未読なので、以下は映画のみの感想になります。ネタバレも含みますのでご注意ください。】
プロットはもちろん一行。
《テロリストに奪われた大型ヘリが原発上空でホバリングを始め、燃料が切れるまでに事態を解決するべくプロが全力を尽くす》
これ以上ないほどの国産パニック映画の申し子。しかも当然「一日の話」!
「新幹線に爆弾をしかけたあ!?」というセリフとともにタイトルが出る『新幹線大爆破』同様、冒頭からいきなりヘリが奪われるという鉄板の導入。この大型ヘリの巨大感と怪物のような演出が大いに盛り上げてくれる。ヘリのローターと排気の生み出す咆哮が音響効果も相まって迫力満点。
ここで主人公の子どもがひょんなことからこのヘリの中に取り残されてしまうのが前半の大きなプロットになる。
個人的に「子どもが活躍する映画に駄作なし、子どもが出るのに活躍しない映画に良作なし」と思っているのだが、この映画の子どもときたら、ハッチが閉じようとするや持っている缶コーヒーを連結部に挟んだり、魔法瓶(?)を挟んだりして閉まるのを防ぐという素晴らしさ。完全につかみはオッケー。しかも、この子どもときたら一緒にいた子どもを先に逃がしたせいで取り残されるという疑いようのない活躍。
前半はこの子どもを救出する作戦がメインとなって話が進むわけだが、『新幹線大爆破』の宇津井健による「ホワイトボードに書き出して理路整然と解決策に対して駄目だし」を踏襲した「議論燃え」を徹底的に見せてくれる。コレなんだよ。わたしが日本映画のエンタメに求めているのは。ハリウッドのマッチョ志向に立ち向かうにはこれしかない(まあ、ハリウッドはそっち方面でも結構凄いのがあるので油断できませんが)。
「こうしたらこう!」「いやそれじゃダメだからこう!」「それじゃもっとダメだ!」という流れからの、本木雅弘扮する切れ者原子力技術者が門外漢として解決策を捻出する。この流れに痺れる。
そして、いよいよその救出作戦が前半のクライマックス。そもそもただでさえ数の少ない国内エンタメ映画で、中盤に悶絶モノのアクションが設けられた構成なんて前代未聞と言えるでしょう。さらにこの二転三転する危機また危機の波状攻撃からの、アッと驚く「子ども落下」の絶体絶命ブリ。
「絶体絶命」こそがこの手の映画の心臓だと思っている人間なので、まったく予想外の絶体絶命的状況に手に汗握りながら狂喜乱舞。しかも、自衛官が何の躊躇いもなくフックを外してスカイダイビングで追いかけるという、なんというムーンレイカー感。なんというアイアンマン3ぶり。まさかこんなアクションが国産パニック映画で観られる日がこようとは。そもそもヘリが出てるのに高高度アクション一つやらないのが従来の日本映画ですからねえ。この娯楽屋魂には拍手せざるを得ない。
さらに、子どもが救出されてからの展開が、先述した「国産パニック映画」の王道とも言える警察や技術者による「プロ達」の戦いなんですよねえ。コレが熱い! 激アツ!
『機動警察パトレイバー劇場版』の
「何か……何か打つ手があるはずだ……」「コンピューターを経由しないで、結合部の火薬に直接点火するバックアップの集中点火線があったはずだ!」
アレがこれでもかと繰り返される。
加えて、後半部は国産パニック映画としても重要な作劇があり、これがハリウッドのエンタメ映画と違う部分にもなっている。すなわち、『犯人側の非常に重い動機部分を「回想」で描写する』
ハリウッド娯楽映画に慣れている目からすると、このあたりの作劇は物語の停滞を招き、サスペンスとしての没入感を阻害する可能性も高い。実際このあたりで評価が分かれてしまうかもしれない。
しかし、この映画は21世紀の「国産パニック映画」なのだから、この「回想による犯人側の動機の開陳」とその「重さ」は非常に重要なのだ。原発をメインモチーフに使っている以上、当然避けては通れないし、そこをサラっと避けてしまってはそれこそハリウッドと同じになってしまう。しかもこのご時世なのだから、「映画は時代を描く」という通り、当然その「重たさ」を堪能して味わい、その幕切れの「切なさ」を胸を締め付けれるのが正しい見方。「回想」形式も『新幹線大爆破』の系譜を意識するなら無くてはならない重苦しさを観客に共有させる。賛否あるだろうが、これは重苦しさを共有させる犯人側の動機をそのまま作劇上でも再現しているわけだから極めて正しい判断。
この映画はそこからも逃げずにかなりド直球に投げ込んでいる点も高く評価するポイント。
本木雅弘の圧倒される名演や綾野剛の熱演、仲間由紀恵にしか出せない薄幸さも含めて、清く正しく『新幹線大爆破』の後継と位置づけられる作品だと感じさせられる所以。
そして、忘れてならないのはやはり犯人の脅迫手段と戦う「プロ」たちの活躍。主人公が親子関係からの煮え切らないキャラが事件を通してグイグイと「男」になっていく成長は観ていてホント熱くなる。なおかつ、いよいよクライマックスでヘリに乗り込んでいく主人公が、同僚に技術屋としての矜持を伝えるシーンは涙が出そうなほど感動させる。
『新幹線大爆破』の宇津井健が最後の最後にプロとしてケジメをつけたのと同じ感動。
同様に、首謀者の三島もプロ中のプロとして徹頭徹尾行動していたことが一際感動を強くする。だからこそ「動機」が強く胸に迫る。
恐らく映画オリジナルであろうラストの東日本大震災のくだりで、三島が震災の翌日獄中で死んだことが語られる。「自殺」か「寿命」かは語られないが、『機動警察パトレイバー劇場版』の帆場が「結果も見定めずに自殺」したのとは違って、「結果」を見定めて死んだ三島の表情はどんなものだったのだろうか……
・・・
正直観る前は堤幸彦監督ということもあり、ハードルをかなり下げていたことは認めますが、何の事はない奇を衒ったような遊びも全く無く、正攻法でカッチリとパニック映画を作り上げた手腕はまったくお見事としか言いようが無いです。
また、警察として登場する手塚とおるが『ガメラ3』と同様の「没入感を台無しにする作りすぎたキャラ」で出てきた時は絶望的な気持ちになったのですが、それもすぐに目立たなくなり、キチンと作品の中で重要なプロとして行動していたので安心しました(もっとも、だったら最初からキャラ作るんじゃねえよとは思いますけど)。
もちろん國村隼さんのド安定の芝居も作品のディティールを強固にして、少し間違えば白けるこの手の映画の世界観をガッチリと支えていました。あれはホント見事。
自分も含めて「邦画のこの手の映画はどうせアレでなにでしょ?」と思っている方も多いと思います。もちろん不安定な部分もありますが、それでもこの手の映画では近年類を見ないほどの興奮が味わえる快作です。
強くオススメします。