男たち、野獣の輝き

旧映画ブログです。

Beauty Devaisethのファイナル・ファンタジー14新生エオルゼア奮闘記

イオンシネマ幕張にてドルビーアトモス&ウルティラで『ゼロ・グラビティ』3D字幕版

全国3億5千万のグラビニストのみなさんこんばんは。

今回は小雨降るなか、千葉は海浜幕張に新しくオープンしたイオン幕張店内のイオンシネマ幕張店へ行ってきました。

目的はただひとつ!

国内導入二館目となるドルビーアトモスでゼログラるためです。しかも、こちらのスクリーンはイオンシネマIMAXに対抗して作ったウルティラというラージスクリーンでの上映。期待に胸が高鳴ります。

海浜幕張の駅からバスに乗って数分すると巨大なショッピングモールが見えてきます。ただでさえ超巨大な建物なのに、奥にはまだ3っつもモールが併設されているということで、めまいすら憶えます。なんといってもイオンの中をシャトルバスが巡回しているのですからw

まあ、だったら駅まで送迎しなさいよと思いますが、それはおいおいなのでしょうかね。

閑話休題

さっそくイオンに入りエスカレーターを上って3階にイオンシネマがあります。エントランスは小さ目ですが、モールとそのまま地続きになっているのでそれほどの場所を確保する必要がないのでしょうか。もっとも、ソファなどが少ししか置いていないのはどうなのでしょう。上映が始まる前にはエントランスで待つのですから、もっと大勢の人間が座れるなりするエリアを用意するべきだとは思います。

場内に入ると、さすが出来たばかりの映画館ということで非常に綺麗&トイレも綺麗(これ結構重要)。色合いなどは違いますが設計思想は六本木のTOHOシネマズを意識しているようにも感じます。

ドルビーアトモス&ウルティラのある8番スクリーンに入ると、さすがの湾曲した巨大スクリーンがグワっと迫力満点で迎えてくれます。ただし、IMAXと違ってスクリーンと座席の間が結構空いているんですよ。なので、視界を画面が覆い尽くすという感じではないんですね。大きなスクリーンを観ているという感じ。今回最前列に座ったのですが、そこまでくるとやっと視界いっぱいにスクリーンが広がる感じです。まあ、こんなこと言っても、十分バカでかいんですけどね。個人的に残念だったのは、IMAXを意識しているのかアスペクトがビスタなんですよね。やはりここはシネスコサイズにして欲しかった。案の定『ゼロ・グラビティ』本編もシネスコ版だったので、上下に黒味が出来て実に勿体無い。しかもマスクするわけでもないですしね。

くわえて、映写システムの問題なのかフォーカスが合っていないのか、非常に精細感にかける映像で、同じくイオンシネマ板橋とくらべても非常に画質が良くない。もしかしたら同じソースを巨大スクリーンに投射しているからその分粗が見えてしまっているのかもと思いましたが、終始画面に陽炎が立っているような感じがしてモヤモヤしているんですよ。あれはちょっと気になりました。

しかし、目的のドルビーアトモスプラシーボ効果を差し引いてもかなりのド迫力。これは劇場のシステムが素晴らしいのか、重低音による振動が思う存分炸裂しています。事あるごとに椅子までビリビリ振動して、これならD-BOXとか要らないだろうとw また、アトモスの特徴でもある天井に設置されたスピーカーの効果なのか、ISSでの火災シークエンスでは上方からグワっと熱波が迫ってくる感じが素晴らしい効果を出していました。クライマックスの中国の宇宙ステーション内での大気圏突入シークエンスでも、終始サウンドが劇場内を駆け巡り観客を強制的に映画に没入させてくれます。まさに『ゼロ・グラビティ』の演出設定と合致するシステムだと感じました。

・・・

今回3回目となる鑑賞でしたので、じっくりと「長回し」と通常のカッティングによるシーンを意識して観ていました。この映画あまりにも没入させる演出が見事すぎて、一見すると「長回し」だと気づきにくいんですよね。もちろん映画としては気づかれないのがベストなんですけど。

一番驚いたのは、ソユーズの燃料が無くなっていることに気づいたあと、ストーン博士が無線で地上の男性と会話をし始めてから軟着陸のマニュアルを取り出して見始めるまでが驚愕のワンショット処理だったことです。最初からもしかしてとは思っていたんですが、途中のジョージ・クルーニー再登場から退場も含めてのワンショットですからね。異常としか形容のしようがない。ついでにいうなら一回目から何度観ても泣いてしまうストーン博士の涙が無重力でふわふわ漂うカットもそれに含まれます。

○無線を調整して男性の声を懸命に聞き取るストーン
○地上からの声だと気づいて、犬の鳴き真似などをして感極まるストーン
○子どもの泣き声を聴いて、「人間はいつか死ぬ運命だけど、わたしは今日死ぬの。正直に言うと怖くてたまらない」
○ストーンの涙がふわふわ漂う。
○自決を決意して照明を消し、コンソールのバルブを締めて酸素供給を止める。
○男性に子守唄を歌ってと頼んで目を閉じると、ゴンゴンとノックの音。
○窓の向こうにクルーニーの顔が! ハッチが開いて空気が流出。無音になってクルーニーが入ってくる。
○クルーニーがバルブを開いて空気を再び充填して音が戻ってくる。ヘルメットをとったクルーニーが照明を点ける。
○「ウォッカを見つけたか?」と聴いて座席の間から隠してあるウォッカを取り出してチューチュー。ストーンにも進めるが断られたので戻し、対策を検討し始め励ます。
○ストーンに生きる希望を与えてクルーニー消える。
○ストーン照明を点けてバルブを回して空気を供給。軟着陸の噴射利用を思いついてマニュアルを手に取る。

なんとこの一連のシーンがワンショット。

さらにすごいのは、カメラが常に動いてそれぞれのエレメントを的確な構図で捉えていくんですが、この時どう考えてもコンソールなどの部分が邪魔をしているはずなのに、まったくそういった気配すらない。極自然に狭いポッド内をふわふわと動き回る。それでいて仮想カメラを意識させるような不自然さはまったくないんですよ。これがちょっとどう考えても驚異的なのです。冒頭の長回しなども十分驚異的なんですが、宇宙空間をカメラが自由自在に動きまわるのは逆に不自然さをなくして、観客を「重力から解き放つ」効果を生んでいると思うんです。

人間は実写作品を観ている時、無意識にカメラの存在を脳内に再構成しているハズなのです。逆に言えばそういうカメラの挙動を無視したカメラワークなどをCGで作ってしまうと途端に「作り物」と感じてしまう。つまり、このポッドのシークエンスって、どう考えてもストーン以外の人間がカメラを持って同じポッドに居られるはずがない上に、カメラが明らかに「壁」を突き抜けている位置から撮っている(仮想的にね)と観客が不自然さを感じなければいけないハズなのに、ちっともそれを感じさせない。

冒頭のシークエンスで、カメラが遠くからストーンのバイザーに迫っていき、徐々にキャノピーを侵食してヘルメット内に入ってしまい、さらにストーンの一人称視点になって、そこからまた客観視点に戻って、さらにキャノピーを侵食してヘルメットから出て行くという常軌を逸したカメラワークがありますが、あれなんかはストーンのパニック状態と観客が同調しているから逆に意識できない(映画ファンは嫌でもびっくりしてしまいますけど)。

転じてポッドのシークエンスのワンショット。カメラは客観視点を維持し続けます。この不自然さを感じさせないトリックは、やはり冒頭から何度も『地面に立っている(=重力に従っている)カメラワーク』を徹底的に放棄して、無重力空間にカメラマンも一緒に居るという仮想設定を守り続けている成果なんだと思いました。


それは、つまりこの映画が他の映画と一線を画している「重度の没入感による味わったことのない疲労感」のカラクリに直結しているような気がします。


次は、中盤でレンズに付着する水滴と、ラストにストーンが立ち上がった時にレンズに飛び散る水滴の効果について考えてみたいもんです。あれもかなり重要ですよね。


ではでは!